講演「MINAMATA」中原三重子&田口ランディ+オマケ

日曜日の昼過ぎ、青山学院女子短期大学の青山祭で開かれた講演、
「MINAMATA-水俣病と向き合う二人の女性-」
を聞きに行った(入場無料)。
講師は、作家の田口ランディさんと水俣病患者の中原八重子さんだった。
模擬店やライブで騒がしいキャンパスを抜けて礼拝堂に入ると、学生が弾くクラシックピアノの後、講師のふたりが入ってきた。
ランディさんは着物、中原さんは確かワンピースを着て、息子さんに付き添われていた。話が始まるまで、3人は僕の前に座った。すると、とてもいい香りがするので、ランディさんかなと思っていると、どうやら、中原さんが付けている香水のようだった。
公害病を抱え、苦悩に満ちた漁師たちというイメージとはかけ離れていたので、少し驚いた。そりゃそうだ。患者さんたちにだって、日常があるし、化粧もする。いつも、先入観た思い込みで物事を見ないように気を付けているつもりだが、まだまだだ。
ランディさんは、彼女こそ、偏見と先入観という言葉を持ち合わせていない人だ。大好きな作家のひとり。「コンセント」を読んだときの衝撃は凄かった。どんなことも、まっさらな心で見通してしまう洞察力は凄いと思う。
ランディさんは、まず、水俣の作家、石牟礼道子さんの「苦海浄土」の一節を朗読した。
そんならとうちゃん、ゆりが吐きよる息は何の息じゃろかー。草の吐きよる息じゃろか。
うちは不思議で、ようくゆりば嗅いでみる。やっぱりゆりの匂いするもね。ゆりの汗じゃの、息の匂いのするもね。体ばきれいに拭いてやったときには、赤子のときとは違う、肌のふくいくしたか匂いするもね。娘のこの匂いじゃとうちは思うがな。
思うて悪かろか-。
これは、小説の中のゆりという水俣病患者の娘さんのことを書いたものだという。ゆりは、生まれながらに発病して、生涯、起きることなく植物状態だった。
ランディさんは、20歳の時、大学の演劇部にいて、たまたま、この作品を劇にすることになったことがあったという。その時、演出の人が水俣へ電話を掛け、調べたところ、モデルになった人がいることが分かった。そして、モデルの人もとっくに亡くなっていると思い込んでいたらしい。ところが、その人は電話する前の週に亡くなったばかりだった。
36歳だったという。
ほとんど俺と同じ年の歳月を水俣病と共に、生涯を眠たまま生きたのだ。
それを知ったとき、今までどこかよそ事だった水俣病が、ランディさんの心の中に、重くリアルに落ちて来たという。
しかし、その後、演出家の人も亡くなり、その公演は頓挫した。
それから20数年、水俣の事は触れないように生きてきたが、こうやって、(講演に来ている)みんなにめぐり合うのは、偶然ではない気がする。とも言っていた。
人と人のつながり・・・。
中原さんは、両親を水俣病で亡くし、自分も弟も同じ病に掛かっている。
お父さんは漁師だった。中原さんが幼い頃の、懐かしい話、海がどれだけ豊かで、どれだけ活気があり、みんな誇りを持って助け合い、生きてきたことを温かい眼差しで、時には、過去を思い出しながら涙ぐんで話された。
そして、その全て、自分の夢を、水俣病が奪ったと語った。
会場の人々がすすり泣いていた。
そんな中、中原さんは、しきりに
「重い話ですスミマセンが、みなさん聞いて・・・」
と「重い」という単語を何べんも使っていた。
それに対し、聴講していた、ある女性が言った。
「重い、重いとおっしゃられてましたが、そんな風に周りを気にして申し訳ないというような姿勢で話される必要はないし、そうさせてしまう今の日本がおかしいと思う。もっと、自信を持って話してください。そうすれば、もっとたくさんの人が水俣病に関して関心をもってくれるはずです!」
と励ましの言葉を掛けていた。
また、中原さんに付き添っていた息子さんが言った。
「さっきの方も、『私たちに何が出来るのか』とおっしゃいましたが、こうやって聞いてくださるだけで、患者にとっては救いなんです。知ったからといって、何をしなければならないということはない。ただ、知って下さるだけでいいんです」
母や叔父、そして祖父母を水俣病に犯されている息子さんの思いはどうなのだろう。それこそ計り知れない苦しみがあるんじゃないかと思ってしまう。でも、彼は立派にお母さんをサポートしていたし、「これからは俺が引き継ぐ」というエネルギーと自信にみなぎっていた。
醒めた言い方かもしれないが、ここで泣き「私たちになにが出来るのだろう」と思っている人の何人が、実際に何かをするだろう。
ほんの一握りに違いない。
でも、息子さんは「知ってくれるだけでいい」と言った。
その時は、それでいいのか?と思ったが、いいのだ。
たとえ、そこにいた誰かが何かをしても、それはその人の一生ではなく、一時期の取り組みで終わるだろう。でも、それでいいのだと思う。
中原さんは「水俣病は治る事はありません。よくなることもありません。歳をとってくると共に悪化していくだけです」と言っていた。もうすぐ、弟さんが、亡くなられたお父さんの年齢になるという。病状が驚くほど似ていると言っていた。
患者さんたちの苦しみは一生なのだ。
それに対し「私たちの出来ること」はそのひと時でもいい、痛みを感じれることでしかないのだろう。冷たい言い方にも聞こえるが、その積み重ねが、波になっていくに違いない。人は一人では世間を動かすことなんて出来ない。気の遠くなる話だけれど、ひとつひとつ積み重ねていくしかない気がした。
ランディさんは、最後にこういうことを言った。
「祈りには感謝があります。水俣病が特別なのは、患者さんに会えば分かります。被害者の口からこんな事を聞きました。『加害者も人間、被害者も人間、同じ人間なんだ。だから、みんなで償っていくしかない』と。患者さんたちはよく『ありがとう』と言います。いろいろなものに感謝するんです。被害者がよく持つ被害を受けたのだからという傲慢さがないんです」
「私たちは、何かを批判するとき、ただ相手をやり込めようとしか思っていません。その時、私はなにも信じていないことに気がつきました。何も信じれなくて、何が変わるんでしょうか。自分も人、相手も人、だから人を信じる。私は、この水俣病に関わって、人間への希望を覚えました」
中原さんは、まだ、水俣病患者と国から認められていない。現在、何度目かの申請中だそうだ。
正直、自分の中でも、この話について、なにも整理できていない。ただ、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んでみようと思う。
※11月4日には水俣フォーラムというNPO法人の企画で「環境省水俣病懇談会の提言を読む」(会場:東京北の丸公園内科学技術館)があるそうです。講師は柳田邦男さん(ノンフィクション作家)や吉井正澄さん(元水俣市長)、亀山継夫さん(元最高裁判所判事)さんだそうで。
水俣フォーラムwebsite
資料「水俣病問題に係る懇談会提言書」ダウンロード先
(環境省web)
11月18日講演&上映「水俣病の50年と『現在』」(at カタログハウス東京校)
講師:吉田司(ノンフィクション作家)
60年代に撮影された水俣病ドキュメント映画も上映らしい。
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青山を出た後、表参道のArt Space LAPNET SHIPに寄った。
来月から公開される映画「ハザード」のスチールが展示されているのだ(11月5日まで。無料)。
正直、イマイチでした。というか点数が少なすぎる。
映画は期待しております。11月 11日公開。
「ぬるい」日本から「ヤバイ」NYへ危険を求めて渡った青年のお話。主演は、オダギリジョー。
映画「HAZARD」official site
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